未来学3.0の時代

―ファンクショナルなビジョンの必要性―

神戸情報大学院大学客員教授
株式会社IF 代表取締役
小塩篤史

新規事業開発とは会社の未来を作ることだ。未来は明るい方が良いに決まっているが、そこに至る道は平たんではなく、 多くの企業が頭を悩ませている。

どうすれば会社の未来に貢献する新規事業を立ち上げることができるのか。
未来学の専門家であり、イノベーション創出支援等を行う株式会社IF代表取締役でもある小塩篤史氏に話を聞いた。

環境問題とともに生まれた新しい表現

当媒体では『バックキャスティング』を「ありたい未来を描き、 そこから現在に遡って課題解決を考えるアプローチ法」だと考えています。 未来学とは相性が良いのではと思うのですが、いかがでしょうか。

小塩 そうですね、良いと思います。ただ、未来学には「歴史上の状況を踏まえて未来での物事がどう変わっていくかを 詳細に調査・推論する学問分野」という一般的な定義があるのに対して、バックキャスティングには万国共通の定義がないんです。

 文献にバックキャスティングという言葉が登場するようになったのは1970年ころで、広く使われるようになったのは1990年代です。 対義語のフォーキャスティングはもっと前から使われていました。たとえば、過去の気象データをもとにした天気予報などですね。 バックキャスティングはその対義語として生まれました。

 きっかけは環境問題です。二酸化炭素を減らすという命題を、フォーキャスティングで考えると「経済成長が止まるから無理」 「1%削減が限界」となって大胆な改善は難しいでしょう。 それならば発想を転換し、人類が生存できる環境を先に定義して、それを実現するための削減目標を決めていこうと。 つまり、あるべき姿からバックキャスティングで考える、ということです。

確かに、いまの環境政策は21世紀末および2050年をターゲットに数値目標を定めていますから、バックキャスティングそのものですね。

小塩 だからと言って、バックキャスティング的な考え方が新しいということでもないんですよ。 昔から為政者はある種のバックキャスティングで国づくり、まちづくりを実践してきました。 近代では関東大震災のあとの帝都復興計画を手掛けた後藤新平の発想がまさにバックキャスティングです。 後藤は震災で壊滅的な被害を受けた東京のあるべき姿を描き、それが都市計画のベースになりました。

 現代のような民主主義の世界ではバックキャスティングを実践しにくいかもしれませんね。 絶対的な権力者が不在で、それぞれに私有財産を持つ個を尊重しながら話し合いますから、意見のとりまとめが大変です。 わかりやすいところでは、ごみ処理場の問題。 誰もが自分の行動範囲内に建てられたくありませんが、どこかに造らないといけない。 最終的には目標を全体最適に据えて解決することになります。

AIにバックキャスティングは可能か?

ビジネスで言えば、スタートアップ企業は意思決定者が明確ですから、大企業よりもバックキャスティングに向きそうです。

小塩 Googleは「世界中の情報検索ができるようにする」という目標を掲げ、そこからバックキャスティングで事業展開してきましたよね。 大企業の場合は計画を立てて、稟議を挙げて、取締役会で承認を得て……といったプロセスが必要。 何かを変えれば、どこかに影響が及ぶので、関係者一同が一斉に納得することは容易ではなく、自ずとフォーキャスティング的アプローチになりがちです。 バックキャスティングを取り入れるなら、いっそ20年くらい先の未来を設定すると、しがらみなく自由に発想できるのではと思います。

御社では人工知能(AI)も扱っていますよね。AIの用途は広がりを見せていますが、AIにバックキャスティング的な思考は可能ですか?

小塩 基本的にはフォーキャスティングしかできないですね。いまのAIは膨大なデータを計算処理して解を出すので、 過去から未来を考えるフォーキャスティングそのものです。ランダムなアイデアをAIに与えて、そこから確度が高そうなアイデアを抽出して 優先順位付けすることはできるでしょうが、それも事前に人間が何を良しとするかを設定する必要があります。

 でも、AIのフォーキャスティングに意味がないわけではありません。私はフォーキャスティングも出来る人がバックキャスティングをやるべきだと思っています。 何かが出てきたとき「これはフォーキャスティングだ」とわかるから、バックキャスティングを考えることができます。 バックキャスティングにおいて重要な「何を幸せな未来とするのか」を決めるのは人間にしかできませんが、人間のフォーキャスティングを補強するものとして、 AIを活用するのはアリかなと思います。

進化する未来学

目指す未来を決めることが人間にしかできないとすれば、その未来の決め方が重要になりますね。 先ほど、民主主義ではバックキャスティングを行いにくいという話もありました。いかにして私たちは未来を考えていくべきでしょうか。

小塩 いわゆる未来学と呼ばれているものは、実は「未来学1.0」ではないかと最近思っています。プラトンの『国家』も、 トマス・モアの『ユートピア』も素晴らしい書籍ですが、その未来図は稀有な才能を持つ個人が莫大な知識に基づいて描いたものです。 現代で言えば、落合陽一さんもそうですね。 卓越した専門知に加えて、発信力や影響力もあるので、彼の未来論に影響を受ける人も少なくないでしょう。 それに対して、「未来学2.0」では企業・地域・自治体などが集まって課題を共有し、目指すべき未来の姿を考えます。

 1990年代に登場したフューチャーセンターはまさにこの発想で、才能あふれる個人の専門知に頼るのではなく、 ステークホルダーによる集合知で考えていこうというものです。

 しかし、専門知と集合知のどちらか一方があればよいのではなく、本当はどちらも必要なんです。それが「未来学3.0」。 未来学1.0を実行できる専門家と、未来学2.0に必要なステークホルダーが集結し、 さらに生産者や市民も巻き込んで未来を考えていきます。

専門知と集合知が融合した未来学3.0の世界(提供:小塩篤史氏)

参加者が多彩になるほど、議論が紛糾しそうですが、心配ないのでしょうか。

小塩 闇雲に議論をすれば、専門家の意見に引っ張られるかもしれませんね。だからこそ『視覚会議(R)』のようなメソッドで合意形成する必要があると思います。 ただ、落合陽一さんのような専門家と議論する必要はないんですよ。 一つひとつの事象について最も詳しく知っているのは、そこに携わっている人たちです。 専門家は広い視野でイメージした未来を語りますから、現場を知る人たちがそのフワッとしたイメージに本質的な課題をぶつければ良いと思います。

企業における未来図=ビジョンの在り方

新規事業開発についてお伺いします。どの企業も何らかの形で「ビジョン」を掲げています。 これは企業の「ありたい未来」ですから、ビジョンからバックキャスティングができるのではないでしょうか?

小塩 その前に企業がビジョンを掲げる意義を考えてみてください。ビジョンには本来、3つの価値があるはずです。
1つ目は社会的価値。顧客や外部ステークホルダーに対する社会的責任を明確にすることです。
2つ目は情緒的価値。社員がそのビジョンに触れることでワクワクできることが重要です。
3つ目は機能的価値。何かしら判断が必要な場面で、ビジョンによって意思決定が迅速化されること。
「A案とB案があるけれど、ビジョンに照らし合わせれば絶対にA案だ」と思えれば、そのビジョンは機能していると言えます。

 ビジョンは最上流の概念で、企業のすべてを語ることは無理ですが、すべてを語る根拠でなくてはなりません。 しかし、多くの企業では機能的価値よりも、社会的あるいは情緒的に偏っているようです。 きれいな言葉で未来を語るのも良いですが、実際の行動に影響しないものは企業のビジョンとは言えないのではないでしょうか。

なるほど、ビジョンが機能不全に陥っている可能性があるのですね。 しかし、企業ではビジョンや中長期計画を無視して、新規事業を開発することは難しいのではないかと思います。

小塩 無視はできないですが、新規事業開発は5年後10年後の話をしているのに、 既存事業とのシナジーやリソースの有効活用を考えているケースが多いのはもったいないと感じます。 現業では不安だから新規事業を模索しているのに、既存事業に紐づけるのは果たして正しいことなのでしょうか。

 もちろん既存事業の延長線上にも可能性はあり、既存顧客や市場の課題をフォーキャスティングで解決し続けるという戦略も 成り立つとは思います。実際、アメリカの企業では未来学1.0的な人材の雇用が活発で、卓越した専門知を持つ人材がひたすら フォーキャスティングで仕事をしています。普通の人にとってはハードルが高い話です。

 新規事業の市場は既存市場の内側にあるか、境界にあるか、外側にあるかのいずれかです。 企業が本当に欲しているのはおそらく既存市場の外の市場ですが、未知の世界ですから、 収益が確保されるまでには一定の期間を必要とします。既存市場の境界や近傍であれば、 初年度から売り上げが立つ可能性があるので、それを選択する企業が多いかもしれませんね。

バックキャスティング人格になってみる!

人材の問題も気になるところです。多くの企業が新規事業開発の専任者を置くことが難しいので、兼務しているケースが多いようです。 日々の仕事をフォーキャスティングでやりながら、同時にバックキャスティングで新規事業を考えることは可能なのでしょうか。

小塩 私がおすすめしているのはバックキャスティング人格とフォーキャスティング人格の2つのキャラクターを使い分けることです。 フォーキャスティング人格は中長期計画に沿って、日々の仕事に取り組みます。こちらは十分に経験していることですから、誰もが自然とできるでしょう。

 バックキャスティング人格はフォーキャスティングと完全に分離し、5年単位10年単位で物事を考えます。 こちらの人格になるときは何か仕掛けが欲しいですね。アイデア発想法の「シックスハット」では帽子をかぶり直すたびにキャラクターを切り替えて、 異なる角度からアイデアを出していきますが、これに倣って専用の帽子を用意するのも良いかもしれません。

 会議では、まず全員にバックキャスティング人格になってもらいます。 中長期計画も、日々の売り上げ目標も全部忘れて、自由に意見を出し合い、アイデアの発散と収束、合意形成を繰り返しながら、 アイデアをブラッシュアップしていきます。

人材の問題も気になるところです。多くの企業が新規事業開発の専任者を置くことが難しいので、兼務しているケースが多いようです。 日々の仕事をフォーキャスティングでやりながら、同時にバックキャスティングで新規事業を考えることは可能なのでしょうか。

小塩 未来を考えるときは時間軸の取り方が重要です。たとえば、日本の人口の推移を見るときに、 2010年から2020年までの10年間だけを見ると人口はほぼ横ばいですが、2050年までを見ると2010年代は人口減少の初期段階であることがわかります。 さらに時代をさかのぼって西暦800年から、2100年までを俯瞰すると、2010年代は日本の人口が突出して多かった時代という風に見えるはずです。 時間軸を長くとればとるほど、変化や環境を知覚しやすくなります。

 企業で2100年までを考えることはそうないと思いますが、一口に未来と言っても、来年なのか、10年後なのかで、話が変わってきます。 時間軸の取り方次第で物事の見え方が変わることを意識すると良いと思います。

ありがとうございました。

プロフィール

小塩 篤史(こしお・あつし)
株式会社IF代表取締役、神戸情報大学院大学客員教授

専門分野である、未来学、データサイエンス、人工知能、技術経営などを背景に、株式会社IFでは未来社会の課題解決に貢献する人工知能や新規事業開発を行い、事業構想大学院では、未来への柔軟な発想力を持った人材育成にとりくむ。

東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程、マサチューセッツ工科大学スローン経営大学院客員研究員、事業構想大学院大学事業構想研究科長等を経て現職。知的IoTを推進する株式会社I cube、ゲームによる認知症予防を目指す株式会社HyperCubeなどを立ち上げ、未来課題×テクノロジーによるイノベーション創出にとりくんでいる。